20世紀末のころから世界中で地球環境の問題が語られ、繁栄の世紀に対する懺悔が行われ、経済不況に見舞われ、さらにLEDや有機ELなどの革命的な新光源への期待が高揚してやっと、あかりや照明が文化として語られ始めたと実感する。ここ10年ほどで私たち照明デザイナーに対する期待の質も飛躍的に変化してきた。エネルギーを無尽蔵に使ってわが資産を明るく目立つように照らしてくれ、というクライアントが少なくなってきた。どのようにしたら光のデザインがスマートに人々を癒やしたり楽しませたりできるのか、という質問が事業者から寄せられる。世界の近代照明は1950年ごろから始まったと考えると、ようやく還暦を迎えたほどの日の浅い分野なのだ。いま中国やインドを含めたアジア圏の経済と文化が台頭している。これまでとは異なる照明文化の価値が、われわれに問われていることは間違いない。いまの日本的なる光を探る昨今のメディアの報道などに触れると、日本全体が、いまあまり元気がないように言われている。しかし、私は日本発の文化や文化人に対する世界的な期待度はますます高くなっているように感じている。日本人は自己主張が下手なので、「日本にいまポテンシャルはない」といったような自虐的な発言が目立つのだろう。日本の照明文化は谷崎潤一郎の語る灯火の時代はもちろん、現代に至ってもたいへん特徴的な現象を見せている。